長丁場となる社史の制作には、地味な作業の継続と強い忍耐力が必要である。
膨大な書類の中から探し出す史料の数々、校正と確認。実際に社史に関する業務に充てられる時間は、深夜からや土日などというケースも耳にすることがある。これは、数年前にある製薬会社の社史を制作した時の話である。
社史の担当をしてくださっていたのは、定年後に嘱託社員として勤務しておられたT相談役である。かつては鬼の総務部長として社員から恐れられたというが、もはやその面影は薄れて穏やかな好々爺といった風情であった。しかしある時、T相談役が打ち合わせの時になぜか眉間に皺を寄せておられたことがある。私は思い切ってその理由を訊いてみた。するとT相談役はこう打ち明けてくれた。
「最近の若者には、自分の仕事に対する愛情がない。人生のほとんどの時間を過ごす場所ですよ? そもそも社史制作を大切な仕事だと思っていない。お恥ずかしいのですが、私の部下のせいで史料の提出が遅れそうです」
私は恐縮したが、さらに詳しく話を聞いてみるとT相談役の言われることは尤もだと思った。
T相談役は、入社5年目の男性社員に50年分の史料をテーマごとに会社の書庫から探して欲しいと頼んでおいたのだが、2週間後に史料を受け取るとA4用紙換算で僅か7枚程度しかなかったという。彼いわく、自分にはこれが限度だしそもそもこんなことに時間を割くほど暇ではない、ということだったらしい。T相談役はその瞬間、数年ぶりに堪忍袋の緒が切れたという。
「こんなこと、と彼は言ったのです」とT相談役は溜息をついた。
「彼は社史の制作が片手間のやっつけだと完全に勘違いしているんです。これは未来へのバトンを作る重要な仕事であり、先人たちが遺してくれた史料にこそ会社の本質が含まれています。たとえば、20年ほど前に光熱費などの経費が極端に増えた時期がありましたが、この時に受注量が一気に増えて現場をフル稼働させたことがわかります。当時の社内報にもその後すぐ支給された臨時ボーナスのことが書かれていて、実際にその年の利益は伸びている。実に興味深いですよね。正直に言うと、私も社史の仕事を任された当初は戸惑いましたが、だんだんおもしろくなってきたのです。しかし彼にはそうは思えないのでしょう。興味すら抱こうとしない。同じ釜の飯を食う人間としてお恥ずかしい限りです」
私はつい、若かりし日のT相談役に想いを馳せた。そこは自身の人生すべてが刻まれた「劇場」だったに違いない。今まさに彼は、その記憶と経験を未来につなげようとしているのだ。会社の歴史の目撃者ともう言うべきT相談役の「最後の大仕事」への情熱は想うに余りある。
私は、T相談役に訊いてみた。「制作チーム、作り直しますか?」と。
すると彼はにやりと笑ってこう答えた。
「いや、彼と二人でとことんまでやります。もちろん、このいきさつも社史にきっちり載せるつもりですよ。私の責任においてね」
その後、この製薬会社では立派な記念式典が開催された。社史もこのとき少なからぬ取引先や得意先に配られたのだが、数日間は多くの感想や感謝の手紙が寄せられたという。社史はまだまだ、奥が深い。
阿部 諭