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思いを伝える社是・社訓③~中村ブレイス

~「THINK」~

中村ブレイスは日本を代表する義肢装具メーカーだ。本社は島根県大田市大森町にある。世界遺産・石見銀山のある町といった方が分かりやすいだろう。同町出身の中村俊郎社長が26歳だった1974年に、自宅前の納屋を改装して一人で創業した。

同社の社是は「THINK」だ。常に考える。お客様の身になって考えることを基本としているからだ。社是には創業者の中村社長の思いが込められている。高校卒業後、京都の義肢製作所に就職したが、義肢装具の先進国で学びたいと 1971年に渡米し、一旦は帰国したが、翌年、再渡米して2年半、病院や学校などで研修を受けて帰国、郷里に戻って起業した。

同社はシリコーンの人工乳房や事故などで失った義手や義足などを作っている。患者の方にとっては自分の体の一部となっている。人間の体に近づけるために、さらに上を目指して努力を重ねる。使用する患者さんらの生活、人生を支えるだけに、製品は単なる「モノ」ではない。オーダーメードで外観にも配慮して、使い勝手の良い、お客様に満足してもらえる製品を作っていかなければならない。
創意工夫すること、考えなくてはいけないことがいっぱいある。患者さんの立場になって徹底的に考え続け、製品に生かしていく。そのためには、社員一人、一人が「考え続ける」、相手のことを「考える」ことが欠かせない。「THINK」には、そうした背景がある。
また、会社が何も無いところからの出発だったことも背景にある。無から有を生み出すためには、考え、それを実行していかなくてはならない。「考える」ことには限界はない。常に新しいことを考え続けるという姿勢が、ベンチャー起業精神を今も失わないで持ち続ける要因だ。社内の至る所には「THINK」の言葉が掲げられている。

社名にある「ブレイス」(BRACE)は英語で「支える」という意味がある。人や地域を支え、また、人や地域に支えられるという意味が込められているのではないか。中村社長は地域を大切にしている。郷里の大森町は1956年に大田市に編入され現在約400人の過疎地域だが、最盛期には約2800人が暮らしていた。石見銀山は16世紀には世界の銀の3分の1を産出し、20万人が暮らしていた。地域の輝きを取り戻すために、中村社長は世界遺産登録のための資料収集などに尽力した功労者で、石見銀山の研究、文化活動をしている団体や個人を表彰する石見銀山文化賞を2008年から設けている。地域貢献の一環として古民家約50軒を再生し、そこに都市から若者が定住する支援活動もしている。

 

 

 

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斎藤 治​
Writer 斎藤 治​

1954年青森県弘前市生まれ。'79年慶応大学商学部を卒業し、読売新聞大阪本社入社。広島支局(現広島総局)、姫路支局勤務を経て,'82年大阪本社社会部、'85年政経部(現経済部)、'88年東京本社経済部(重工業クラブ、建設省、通産省担当)、'91年大阪本社政経部(金融、機械、財界などを担当)、'98年経済部次長、2001年調査研究室(現論説・調査研究室)研究員、2007年同主任研究員、2012年6月記事審査部委員、2014年9月退職。現在、フリージャーナリスト。白鷹堂代表。

大阪大学大学院(国際公共政策研究科)、関西学院大商学部、武庫川女子大などで非常勤講師。読売新聞大阪本社で長期連載した「技あり関西」取材班として2006年坂田記念ジャーナリズム賞を受賞。関西日本香港協会理事、同華人研究部長。2003年から始まった華人経営塾「チャイニーズ・マネージメント&マーケティング・スクール」のモデレーターを務めている。共著に「日中韓の戦後メディア史」(藤原書店)、「時代の車窓から見た中小企業」(晃洋書房)、「時代の証言者売新聞社)など。

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