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アーカイブ探求記①~まずは捨てるな。史料は未来のためにある

二十数年前、ある企業に中途入社して間もなく社史編纂担当になりました。

重要度を判断しないで全部残す

社史編纂の作業はその少し前から動き出していて、長年広報担当された先輩方が自分たちの業務の合間に写真の整理を行うという形で始められていました。その整理というのは、山積みになった写真を重要度に応じて、“残す・廃棄する”を選ぶ作業だったのです。
私は入社間もないこともあり、写真の重要度はわかりませんでした。そこで先輩方にお願いして、自分のやり方を承認してもらいました。そのやり方というのは、こんなものでした。
①自分には重要度はわからないので、ひとまず全部残す
②そしてそれぞれの写真が何のときの写真かを調べて時系列に並べなおす

作業は、私より1ヶ月前に人事教育担当から異動になった先輩と二人で、過去の広報誌を使って一つ一つ内容を調べていき、一枚一枚整理を積み重ね、半年かかりました。同時に毎月の広報誌制作のために撮った新たな写真も平行して整理していきました。使用しなかった写真もすべてネガの形で残し、それをベタ焼きしたものとセットでファイルし、時系列に並べていったのです。写真を時系列に整理するために、広報誌も整理していきました。
ワープロでリスト化し、簡便な検索システムのようなものも作りました。社史が完成したころには、創業から現在までの、なかなか立派な広報誌と写真資料の体系ができあがっていました。

歴史的資料の整理は、未来のために行っていた

社史編纂が終わって私は担当を外れましたが、広報誌と写真の整理は続けられました。時系列に整理するだけなので判断業務がなく、アルバイトの方にもお願いできるものでした。次第に広報資料の整理体系は知られるようになり、別の部署からも要望がくるようになりました。広報部には資料室ができ、担当もつけられました。
その後写真やデータはデジタルになり、簡便なワープロ式検索システムは、パソコンによる検索システムに変わっていきましたが、基本的な作業方法は変わりませんでした。20年が経過し、再び社史編纂の担当として戻ってきたときには、ウォールキャビネットとデジタルデータベースを有する堂々たる資料室になっていました。

20年後の社史編纂作業ではこの資料が本当に役に立ちました。失礼な言い方ですが、20年前には思いもよらなかった人が会社の重責を担う担当になっていたりして、20年前にはとても重要とは思えなかった写真が、にわかに重要写真になっていったのです。
史料の価値は今の段階では判断できないとつくづく思いました。歴史的資料の整理は、未来のために行っていたのだと気づいたのです。

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右田昌彦
Writer 右田昌彦

自社周年史のプロジェクトリーダーとして培った幅広い知識と実務経験を生かし、史資料管理や活用をはじめとする企業アーカイブづくりをサポートする。

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